革命前夜の藻塩草

Anthologie à la veille d'une révolution

ヒラガナノススメ

漢字ばかりの莫迦っぽい文

 漢字を「ひらく」といういい方がある。漢字で表記することもできることばを、あえて漢字にせず、ひらがなで書くことをいう。逆に、漢字を「とじる」といえば、ひらがなを漢字で書くことをいう。わたしは、なるたけ漢字をひらいて文章を書くことを勧めている。可読性の高い、つまり、読みやすい文章を書くことにおいて、漢字の多い文章というものは、その正反対へ向かう性質のものであるからだ。したがって、なんでもかんでもを漢字で表記するのがデフォルトになってしまっているという状態は好ましくない。試しに、ここまでの文章のうち、漢字で書けるものをすべて漢字に変換したものを以下に提示しよう。

 漢字を「開く」と言う言い方が有る。漢字で表記為る事も出来る言葉を、敢えて漢字に為ず、平仮名で書く事を言う。逆に、漢字を「閉じる」と言えば、平仮名を漢字で書く事を言う。私は、成る丈漢字を開いて文章を書く事を勧めて居る。可読性の高い、詰まり、読み易い文章を書く事に於いて、漢字の多い文章と言う物は、其の正反対へ向かう性質の物で在るからだ。従って、何でも彼んでもを漢字で表記為るのがデフォルトに成って仕舞って居ると言う状態は好ましく無い。試しに、此処迄の文章の内、漢字で書ける物を全て漢字に変換為た物を以下に提示為よう。

 どうだろう。わたしにはとうてい、読みやすいとは思えないのだが、世の中にはいろいろなひとがあるもので、どんなことばも漢字で書かないと気がすまぬという者もあるという。知的な読者の諸君ならばなんとなく身に覚えがあると思うが、たとえばことばのはたらきだとか、その非-自明性だとかにいちども思いを馳せたことのないような、いってしまえばそれほど賢くないバイト先の社員が送ってくる電子メールが、こんなふうになっていたりする。あるいは、大人ぶってみたいお年頃の中高生や、若者に舐められたくないお年頃の年配者がインタネットの匿名掲示板に書き込む文章の数々が、こんなふうに漢字ばかりで構成されていたりする。

 正直に申し上げて、漢字ばかりの文は、読みやすいか否かという問題よりも、とにかく莫迦っぽく見えるというのが最大の難点である。もちろん、これは時代的の感性にも依存した見方であって、たとえば、文豪とされている夏目漱石などは、次のような文章を書いている。

「それから」を脱稿したから取あへず前約を履行しやうと思つて「額の男」を讀んだ。讀んで仕舞つて愈批評をかく段になると忽ち胃に打撃を受けた。さうして二三日の間は殆ど人と口を利く元氣もない程の苦痛に囚へられた。漸く床の上に起き直つて、小机を蒲團の傍まで引張つて來て胃の膨滿を抑へながら、原稿紙に向かつた時は、もう世の中が秋の色を帶びてゐた。時機を失して著者に對しては甚だ濟まないと思つたが、書かないよりは増しだらうと己惚れて所感を記す事にした。

 

出典:夏目漱石「『額の男』を讀む」

 そもそもが旧字・旧かなで書かれているために読みづらいけれど、同時に、漢字が多いのが特徴的であろう。「仕舞つて」とか、「忽ち」、「殆ど」とか、パッと見ただけでも、いまではあまり漢字で書かないようなことばが漢字になっている。これは憶測なのだが、漱石のテクストがもて囃されてきたのは、そして、長年、国語科の教科書に掲載されてきたのは、そこに日本語表現の巧みさ ≒ 規範性が見出されてきたからでもあり、書かれた時代に規範的とされた漢字表記を反映していると考えてもおかしくはないのではないか。つまり、ここでは当時の自然な表記を採用しているにすぎないのであって、いまの時代のわたしたちが読んで違和感を抱く部分があるとすれば、それは時代の変化による、表記にたいする感性の移ろいに他ならない。したがって、漢字ばかりで書かれたあらゆるテクストが莫迦っぽいというわけではなく、とりわけ昨今書かれたものがそうであるという傾向があるにすぎない。

 さて、本題である。どのようにして漢字をひらけばいいのだろうか。すなわち、具体的にどのようなことばを、漢字でなくひらがなで表記すべきなのか。いかにして莫迦っぽさを回避するか。具体的に挙げていくのは面倒だし、詳細に提示するのはもはやこのブログの役目ではない。したがって、ここではヒントとなるいくつかの例を示すとともに、その心がけを強調するに留めることとする。

漢字を「ひらく」ためのヒント

 以下に挙げた品詞は、おおむねひらくべきである。とはいえ、じっさいには「原則」というほどの強い性質のものではなく、したがって「例外」も無数に存在することに注意せよ。

  • 形式名詞
  • 補助動詞
  • 指示詞
  • 接続詞
  • 副詞
  • 助動詞
  • 助詞

 この他にも、「有る」、「無い」、「出来る」などはつねにひらくべきである。「言う」や「見る」といった動詞の使い方にも注意が必要である。知覚をともない、その意味的の重要性が比較的高い場合をのぞいて、ひらがなとすべきだ。また、「私」、「今」、「人」、「言葉」、「良い」なども、場合によってはひらいてよいと思う。

 上に挙げたような「原則」は、時と場合に応じて多分に揺らぐものであるから、そのときどきに随意、判断する必要がある。というのも、漢字ばかりの文も見づらいが、ひらがなばかりの文も見やすいとはいいがたいため、いつも比重を考えながら執筆しなければならないからだ。なお、ひとつの閉じたテクストにおいては、表記法を統一しておくのが無難である。

 

ヤマノススメ(1) (アース・スターコミックス)

ヤマノススメ(1) (アース・スターコミックス)