革命前夜の藻塩草

Anthologie à la veille d'une révolution

何も考えない人

 インタネットのみなさん、こんばんは。虚無小路虚無篤きょむのこうじきょむあつです。インタネットやめましたか? みんなやめてますよ。最高の気分が味わえますよ。やせられますよ。

 ところで、お聞きしたいことがあるんですが、あなたは普段、何を考えているんですか? あなたが考えていることを教えてください。そんなことを尋ねられたら、どう答えますか。まあ、あらゆる質問に答えなければならないなどということはありえないので、あるいは「回答を拒否するという回答」もあるのかもしれませんが*1、ここでは答えるべき(とあなたが判断するところの)状況にあるとしましょう。

 何と答えようか、すぐに頭に思い浮かぶ人もあるでしょうね。そういう人には、とりあえず「えらいですね」と言っておきます。というのも、私はそういう部類の人ではないからです。それも、「どちらともいえない」とか「やむをえない」とか、そういうていどのものなどではなく、はっきりと、その対極に位置する者と自認しています。

 ようするに、「普段何考えてる?」と聞かれても、永遠に何らの答えも返すことができません。理由は簡単です。何も考えていないので。信頼できる医師によれば、何も考えなすぎて脳がほとんど腐っており、鼻水とともに垂れてきているそうです。怖いですね。

 みなさんは、ほんとうによく考えて生きていると思います。ガングロ・ギャルだって哲学者と対談する時代です。自己を見つめて、世界を眺めて、そして言葉で考える。そういう蓄積がなければ、けっしてできないことですよ。個人的なことは政治的なことですし、そもそも生にともなうあらゆる判断は政治的なものですよね。最低限、自分をめぐるものごとのありようだけでも考えるということをやめてしまったら、自分の生を主体的に生きることへは到達しえないでしょう。何も考えなくなってしまったら、生きながらにしてゾンビのように、欲求のおもむくままにただエサを追い求めるだけの存在に成り下がってしまいますよ。さながら私みたいに。

 すべてのきっかけを浪人のせいにするわけではないですが、あれはほんとうにひどかったと思います。日々、予習/復習に追われ*2、毎週のように模試を受け、家と予備校を長時間かけて電車で往復して......というのを一年続けました。そのあいだは、高校までのように非本質的な人間関係や行事等に気を取られる必要もなく、目標を目指してがんばればいいだけなので、楽でよいのではと思われる向きもあるかもしれません。ところがどっこい、そうではない*3。目先の問題しか考えていないと、その他の問題に気が回らなくなるのです。問題の存在じたいに気づかなくなるというか。問題に突き当たらなければ、考えない。一年を長いととるか短いととるかは人それぞれですが、とにかく私はそういう生活を一年間続けました。結果、ものを考えるという習慣は失われました*4 *5。そんなこんなで今にいたるわけです。

 何も考えなすぎるので、たまには何か考えようかと思い、「考える」とはどういうことかを考えてみようとしましたが、実例を分析するあたりで難しさを感じ、やめました。

 今日の虚無でした。

 ところで、このテクストを書いた目的ですが、インタネットでは虚無を自称する人間が虚勢を張っているとの情報を得たことから、そいつらに「お前らの虚無は贋物だ。真の虚無じゃねぇ」ということを伝えたいと思ったというのがあります。文句あんならかかってこいや、フェイク・野郎がよ!

 完

*1:典型的な権力者しぐさですが。

*2:もちろん、「そうしない」という選択肢もあったと思いますが、私はマジメだったので、そうしていました。

*3:浪人をめぐる記述はぜんぶ私の個人的な感想であり、万人に当てはまるわけではありません。

*4:いろんな意欲も一緒に失われていましたが。

*5:人間関係とか学校行事とか、非本質ではあるけれどある面では重要なのかもしれませんね(笑)。