革命前夜の藻塩草

Anthologie à la veille d'une révolution

インタネットを蠢動するおまえたちへ(3)

 おまえたちの憎しみは贋物だ。

 おまえたちは、憎しみという一見すると個人的とも思える感情すらをも、他者を模倣したしかたでしか生み出すことができない。おまえたちは、おまえたちではない誰かを憎む。しかし、おまえたちはその「誰か」を知らない。その「誰か」がどういった性質のものであるかを知ろうとしない。なぜか。興味がないから。おまえたちにとって、「誰か」が誰であるかという情報は不要であるからだ。そのようなことを知らずとも、「誰か」は適度な距離を維持しつつ、いつもおまえたちの目の前にいてくれる。おまえたちが「誰か」を憎むのは、憎しみを注ぎつづけるのに都合のいい対象であるという以上の理由はないのである。つねづね、おまえたちには独創性がないと思っていたが、芸術や学問ならいざ知らず、最もそれと縁遠い営為であるところの労働ですらない、自分自身の心の内面さえも、奴らに売り飛ばしてしまっている。それは本来あってはならないことだ。おまえたちのうち一部は、というかおまえたちの多くは、青色ないしそれと同一視してもかまわないほどに青味がかった白い襟の労働をしていることと思う。そして、その労働の過酷さに比して、雀の涙ほどしか与えられない賃金によって、つらく、苦しい生活を余儀なくされているはずだ。おまえたちの中には、子どもを養う立場にある者もあるだろうが、おまえたちの給料で、十分な教育を受けさせようと思ったらどれほどたいへんなことか。十分に教育を受けられない子どもは、将来、おまえたちのような低賃金労働に従事する可能性がきわめて高い。これが繰り返されれば、おまえたちの一家は、今後何世代にもわたって、貧困を連鎖させていくことになるかもしれないのだ。はたして、貧困の固定化をうながし、おまえたちをして辛苦せしむるのはいったい誰なのか。どう考えても、それは隣国ではない。隣国が日本の経済にたいして、これほどミクロにしてマクロな悪影響を与えるなど、まったくありえない。おまえたちは「工作員」などという存在も妄想の中で作り出しているようだが、そんなのも同様に存在しない。もし存在すると仮定するならば、それは日本の経済を根本から駄目にしようとしている黒幕であるところの新自由主義者、グローバリスト共にほかならないのであって、まさにここ数十年の政権の主要人物こそが「工作員」ということになろう。では、おまえたちはどのようにして隣国を憎むようになったのか。それはむろん、それを煽りたてる者があるからである。隣国への憎しみを煽ることで商業的に莫大な利益を得ることができる奴らによって、おまえたちは洗脳されているのだ。おまえたちの憎しみは、おまえたち自身の生活からも精神からも肉体からも出てきていない。そのテの話を聞いたか読んだかして、おまえたちに刷り込まれたにすぎないのであって、おまえたち自身の人生とはまるで接点などなかったのだ。おまえたちは、自分自身の憎しみさえも奴らにコントロールされ、もはや精神的に自律した個人であることを忘れてしまっている。おまえたちの感情は、おまえたち自身のものであるはずだ。

 解放せよ。創造せよ。君だけの最強の憎しみをつくりだせ。

 そして、おまえたちの抱える生きづらさの原因を、そしてそれへの解決策を、ともに考えていこうではないか。