革命前夜の藻塩草

Anthologie à la veille d'une révolution

インターネットをやめるべきたった一つの理由

 われわれは今回、いささか挑発的なタイトルを冠した記事を書き始めたわけであるが、われわれが重大な局面を迎えつつあるということを、筆者はここで伝えておきたいと思っている。インターネットをするとはどういうことなのか。それは、ネット文明にあって、ネットなしにはほとんど生活が成り立たないような社会――「ネット依存社会」と呼んでもよい――に住むわれわれが、一度は熟考してみたいテーマである。なぜわれわれはインターネットを選んだのか。なぜわれわれはインターネットをやめられないのか。インターネットは人間を疎外しているのか。そういった問いは、「インターネットと人間」という関係を深く洞察すること以上に、「人間の在り方」という、より大きく、より普遍的な真理への追究へとつながるものである。

 まずは、以下の実践からはじめよう*1。何ごとも、理論の構築に限らず、思索の営為において、実践というものは不可欠である。たとえば、数学の問題(特に整数の問題)を解くばあい、一般的な数をいきなり扱うのよりも、はじめに n = 1, 2, 3, \cdots のような単純な数を用いて考え、そこから発見される規則性のようなものをヒントとして、求めたいものであるところの一般的なばあいを考えることがある。これも、一般化の前段階としての具体的実践のひとつとして、重視したい視点である。少々脱線したが、本題に戻ろう。読者諸氏におかれては、手元のキーボードをご覧いただき、Alt キーと F4 キーを同時に押されたい。次に、マウス・カーソルの先をおもむろにタスク・バーへと向け、接続済みとなっているインターネット・アクセスを切断してみよう。いったい、何が起こっただろうか。そう、われわれはインターネットをやめたのだ。いま、ここで、インターネットの利用を中止してみせたのである。このとき、われわれの身に何か変わったことはあったか。無論、何もないのである。われわれは、何らの実害を被ることなく、インターネットをやめることができる。そう証明することができたではないか。何も恐れることはない。インターネットをやめよう。いま、すぐに。インターネットをやめろ。インターネットやめろ。インターネットやめろ。インターネットやめろ。インターネットやめろ。

 

 

 

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インターネットやめろ インターネットやめろ

*1:ここでは、Windows ユーザを想定している。