革命前夜の藻塩草

Anthologie à la veille d'une révolution

ラランティ

夢の中でしばしば走ることがあるのだが、もれなく、400 m 走の最後 100 m のような、酸欠で脚が重くて動かない(いわゆる「きれた」)状態で走っており、遅々として前進できない辛さが毎度よみがえる。

 こんなトゥイートをした日の夜に、またもや妙な夢を見ることとなった。次のようなものだ。

 電車を降りて、坂道を登っている。ある施設へ向かっている。この坂の上にあるのかは知らない。それでもそこへ着かなければならない。だから坂を登っている。急な坂だ。とてもとても、急だ。一歩を踏み出すことすらも難しい。何度も転ぶ。重力加速度の斜面方向成分が大きい。苦しくも、ひじょうに緩慢ながらも、足を前に動かす。

 これらの夢に共通する、何か体をまつわりつき、抑えつける存在は、内因性のものだろうか。それとも外因性のものか。後者とするならば、それはさしずめ、プールの中を水をかきわけかきわけ歩いていくような感覚に近いだろうか。あるいは、自分の周りだけヒッグス粒子多すぎないか、というやつ。

 そういえば、かつて金縛りみたいな体験をしたことを思い出す。昼寝をしていたら途中で覚醒し、しかし布団が圧倒的重さの鉄板であるかのように、体がまったく動かなかった。あれはたしかに金縛りだったのかもしれない。